『 帽子はベレーに始まり、ベレーで終わる 』

帽子を勉強し始めた頃に担任の先生に教えてもらった言葉です。

帽子を被ってみること、作ってみるのもベレーから始めてみませんか。

ベレーの作図がわかれば帽子の作図・型紙が理解できます。


 Beret ・仏 béret  ・日 ベレー帽

平らで柔らかく、幅も広い円形のクラウンを備えたブリム(つば)のない帽子。

一般的に継ぎ目のないタイプはフェルト帽体製やフェルトジャージー製。

継ぎ目、はぎがあるものファブリック(布地・布帛)製。

今日最も被られているのは、フランスとスペインの国境線にあるピレネー山脈周辺のバスク地方の農民たちが昔から被っている、Basque béret バスクベレー、日本でも親しまれています。

一見フェルトに見えますが、フェルト帽体ではありません。

ウールのメリヤス編みでそれを縮絨して、作られています。

また頭頂部にはベレーになくてはならない「cabillou(カビユ)」と呼ばれる尻尾のようなポッチがあるのが特徴。

「cabillou(カビユ)」は南仏の方言・オック語で小さな芯、もしくはしっぽを指す言葉みたいです。

cabillou : Mot occitan désignant la petite mèche, ou queue, placée sur le dessus du béret.

(フランスの帽子百科事典参照)


フランス・ベレーブランド、LAULHERE(ローレール)

http://www.laulhere-france.com

Laulhere sales manager Mark Saunders氏の動画をお楽しみください。

ベレー好きなあなたにはぜひこの動画も見て欲しいです。


そのほか、スコットランドの伝統的なTam O’Shanter タモシャンター(6枚はぎでポンポン付き)や、

Balmoralバルモラル、

Sailor capセーラーキャップがあります。


beretの起源はイタリア・ルネッサンス期までさかのぼる

14世紀ー16世紀時代(ルネッサンス期)のベレー

ベネチア人はビレッタ・ピリウス・ボンネットなどと呼ばれる小さな円形か角形の、ブリムのない、赤または黒のフェルト製かビロード製の帽子を被っていた。

*ビレッタは今日では聖職者の帽子として知られている


この頃ビレッタが変形して平たい帽子、『beret』がイタリアで登場。

最初はフラットな大きな円形の布地を細紐で引き締めて、頭に合わせるようにしたものだった。(シャワーキャップの様なもの)

*それが今日の男性用帽子の内側に付いている小さな蝶結びリボンの起源とされている。

16世紀前半は男性用として、ビロードまたは金糸ネットのコイフ(頭巾)の上の被られた。

ウィッグを被る場合には、ベレーはその付属品として使われていた。

*この時代のウィッグは男女問わずおしゃれとして楽しんでいました。

一般に好まれていた色は、黒だったが、ヘンリー8世は黄色や緑色のビロードのベレーを。

その後、色物が最も一般的になり、特に深紅色のものが普及した。

ヘンリー8世の治世の間、アイルランド人はサフラン色(亜麻色)の帽子をかぶることを禁じられていた。

16世紀中頃にはベレーにコール(ヘアーネット)を取り付けた魅惑的な女性版も登場。


18世紀のベレー

スコットランドの羊飼いや兵士や紳士が被っている青いウール地のベレー『スコッチ・ボンネット(プリンス・チャーリー帽)』は、縫い目や継ぎ目を一つも作らないように織り上げられていた。この帽子は『青色帽』とも呼ばれ、頭頂部に赤か青の房飾りが付いていた。

帽子に付いているリボンの花形帽章。自然のままの常緑樹の小枝、1本または数本の羽飾りなどは、その帽子着用者それぞれの一族の間における地位を表していた。3本の羽飾りは、一族の長がつけることができ、2本は家の子、1本は郎党を意味していた。現在のプリンス・チャーリー帽は山の部分のやや大きい、幅の広飾りバンドが付いている帽子である。この帽子の名称は、1745年から翌年にかけて父の王位を奪還しようとして失敗した若い王位要求者

『ボニー・プリンス・チャーリー』すなわちチャールズ・エドワード王子(1720年ー1788年)にちなんだものだった。

*スコットランドでは、ボンネットは、さまざまな種類の男性用帽子を意味する。フランスでも、ある種の男性用帽子がボンネットと呼ばれる


1815年ー1900年のベレー

1834年に出版されたロバート・バーンズの詩集はタモシャンターという言葉を流行らせることになった。

バーンズの詩の主人公の名前をとってタモシャンターと呼ばれたスコッチ帽の変わり型を被っていた。

厚手のきめ細かいウール製のベレー風の帽子で、特にカーリングを楽しむ人々が被っていた。

この頃、バスク地方を訪れたナポレオン3世が農民のかぶる帽子を「ベレー・バスク」と呼んだことから、同地方の帽子として、フランス、スペイン、イタリアをはじめ世界中に広まった。


1910年ー1920年のベレー

第一次世界大戦の影響を受けて、フランスのアルプス部隊の兵士たちが被ったスマートなダークブルーキャップ、

古くから伝わるバスク・ベレーがスポーツ用として、男女問わず広く使われた。

ピレネー山脈のフランス側とスペイン側一帯に住んでいるバスク人。

200年前、多くのバスク人は船乗りで、腕の良い漁師がたくさんいた。

このことはスコットランドに同じ型のキャップが現れた理由を裏付けるもののようだ。

スコッチ・ボンネットとバスク・ベレーは、縫い目も継ぎ目もない1枚の織物で作られてる同一のふちなし帽である。

ただバスク・ベレーには青いのも赤いのもあるが、スコッチ・ボンネットには青以外の色はなく『ブルーボンネット』と呼ばれている。


1920年ー1930年のベレー

ダークブルーのウールのバスク・ベレーも大いに流行し、とりわけ復活したオープン・カーに乗る時によく使われた。

このバスク・ベレーとフェルト帽の両方を愛用して、その普及に大いに貢献したのは20世紀のダンディとうたわれた英国皇太子だった。


1940年ー1944年のベレー

美しい帽子は、英国軍司令官バーナード・L・モントゴメリー将軍のベレー帽だった。この帽子に刺激され、女性の間ではベレー帽がまた流行した。

戦車隊が青いベレーを制帽として採用したのは、第一次世界大戦当時、フランスアルプス部隊の兵士たちが、戦闘で援助受けたことに対する感謝のしるしとして自分たちの帽子を英国兵に贈った時からだという話。


1945年~ベレー

残念ながらこの時代頃から、女性は帽子を被らなくなった。

その理由は、『ほとんど何も被ってない』感じを経験してしまった1930年代に流行した小さな帽子や、第二次世界大戦中及び戦後の略式の服装、手荷物を切り詰めた空の旅、調髪したての贅沢な髪型を乱すこと、密閉された温かい車で自由に移動できることなどである。男性も戦後、無帽スタイルが流行し帽子の売れ行きが低下した。

1960年代に入るとファッション界も華やかさを取り戻し、様々な服飾デザイナーによって帽子も製作されるようになった。


日本でのベレー

ピカソやロダンをはじめとする画家などの芸術家にも愛用されてきた歴史があり、

パリの画家=ベレー帽というイメージも強いはず。

日本においては戦後、手塚治虫や藤子・F・不二雄などの人気漫画家たちがベレー帽を自らのトレードマークとし、漫画家の間でベレー帽が流行した時期もあった

1989年~91年

雑誌『olive』の読者、いわゆるオリーブ少女たちがアニエス・ベーのボーダーシャツやベレー帽を渋谷系ファンのアイテムとして愛用




フランス・バスク地方にあるベレー博物館


フランス・ベレーブランド、LAULHERE(ローレール)

エメラの帽子教室ではベレー帽、製作していただけます。

ぜひ帽子作りも体験しにいらしてください。



NHKすてきにハンドメイド 2018年2月号には、2枚はぎベレー帽(布帛)の型紙と作り方が掲載されています、こちらも是非、ご覧ください。

神戸 エメラの帽子教室

「帽子を自分で作ってみませんか?」 I'm Japanese milliner in Kobe. I also teach hat making at home. Why don't you try to make a your hat with me? 帽子職人・研究家 エメラ